文楽の公開討論はアンフェア
大阪市の文楽への補助金の見直しについて、日経ビジネスに掲載された
小田嶋隆氏のコラムが話題だ。「“人形遣い”の器量は、分からないもので分かる」と題されたコラムで、公開討論は酷だとし、「文楽」は存続させるべきと擁護した。
文楽協会は市長への非公開の面会を求める方針を固めたが、
橋本市長が非公開なら補助金は出せないと語った点について、橋本氏は
長らく「論破」ということを職業にしてきた人間だ。のみならず、テレビカメラの前に立つことを半ば習慣化した日常を送っている。とすれば、「公開の場で」という条件は、一見、オープンかつ公正であるように見えるが、実際には、まったく非対称な要求なのである
小田嶋氏はライオンの檻の中に入って交渉する飼い猫に例え、一方的に片方の側が相手をなぶるのは無理筋だと非難している。
文楽の存続については、
文楽を一度も見たことがないと断った上で、文楽に関して無知でありながらも、
補助金を支給することを希望していると述べた。その後、なぜ文楽に補助金を出すべきかが説明されているのだが、文楽を超越した芸術論としてTwitterで共感を呼んでいる。
小田嶋氏は
芸術とは、金銭的な評価とはまったく関係なく必要な存在である主張し、文楽だけを特別扱いするわけにはいかないという橋本市長の考えに対して、
その通り。
特別扱いにするのである
と断言した。
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文化や芸術への評価を市長に委ねてはない
Twitterには
「元タレント弁護士相手にテレビカメラの前で公開の話し合いとか、たしかにアンフェアだよね」
「ちょっと感動した。」
「この一文は芸能というものに興味がある人に是非最後まで読んでほしいと思った」
「素敵な芸術・文化論だなぁ。特に経済と芸術の分離をきちんと捉えているところがさすがだ」
などの感想が寄せられている。
一言で「文楽」と言うが、長い年月をかけて培われてきた
伝統芸能を「潰す」ということは、それにまつわるさまざまな文化をも潰してしまうということだ。
例えば古代から連綿と営まれ、日本人の魂に刻み込まれている「語り」の文化、日本の民族衣装を作る技術など、
太夫、三味線、人形遣いの三位一体の技術を超えた、日本文化のアーカイブとしての文楽の役割も見逃してはならない。
「潰す」のは一瞬でできるだろう。しかし同じものを再現することは、どんなに長い年月を費やしても不可能だ。

日経ビジネスオンライン
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